プロヴァンス(フランス)
マルセイユ・タロットの本場を訪ねる南仏の旅
タロット占いをする身にとって、南仏のプロヴァンス地方は、とても魅力的な土地となっています。
地中海に臨むこの地は、有名な「マルセイユ・タロット」の本場であり、タロットの成立そのものとも大きな関わりがあるとされるところ。
私は一人のタロット・リーダー(占い師)として、この土地に、かねてから強い興味を持っていました。
今回は、2週間にわたってフランスに滞在しましたが、そのうちの1週間は、マルセイユにほど近いサン・マキシマンという町にある修道院を改装したホテル(Hotellerie du Couvent Royal)に宿泊。そこで開かれた、専門的なタロット講座に参加しながら、周辺の宗教的な場所に足を運び、タロットについてそのルーツを示すような事象をつぶさに見ていきました。現存する最古のタロットは、1392年に、ジャックマン・グランゴヌールが筆写したタロットで、パリ国立図書館に17枚残っています。その後、15世紀になると、イタリアで力量のある画家によって豪華なタロットが作成されるようになります。
マルセイユ・タロットも、15世紀には一般的に用いられ、しかもその絵柄は、はるか古代の秘教伝承に由来するものだと考えられています。今回、タロット講座では、フィリップ・カモワンが講座を勤めました。彼はマルセイユにあるタロット・メーカーの後継者であり、象徴に満ちた真のマルセイユ・タロットを「カモワン版」として復活させた当人です。
修道院ホテルで感じた、冷たいブルー系のオーラ
元修道院だったホテルは、旅行者のためにかなり手を加えてあるとはいえ、かつての修道僧たちの信仰の日々を物語るに充分な雰囲気をたたえていました。そこで私が感じたオーラは、薄紫や藍色といったやや冷たい色をしていました。2月ということで、古い建物の中には冷たい空気が漂っていましたが、修道僧たちの禁欲的で清貧な生活の歴史が、私に寒色系のオーラをイメージさせたのだと思いました。
さて、マルセイユ・タロットにこめられた古代の秘密の教えには、12世紀から13世紀にかけてこのプロヴァンスで栄えた、キリスト教の異端の一派「カタリ派」が関わっています。彼らにゆかりのある教会を訪れると、内部のいたるところに、タロットの絵柄のモチーフと共通するイメージが使われているのがわかります。
今回のタロット講座では、こうしたマルセイユ・タロットに込められた象徴について、あらためて深く学ぶことができました。
「ダヴィンチ・コード」にも描かれたマグダラのマリアの謎
マルセイユ・タロット成立に大きな影響を及ぼしたと見られる、このカタリ派の足跡を追っていると、浮かび上がってくるのが「マグダラのマリア」(聖母マリアとは異なる)の存在です。マグダラのマリアとは、イエス・キリストの処刑を見とどけ、復活したイエスにも最初に会った女性で、一説には娼婦だったとも言われています。
しかし、もっとも重要なことは、彼女が「イエス・キリストの子を身ごもり出産した」ということです。このあたりのエピソードは、大ヒットした小説「ダヴィンチ・コード」でも重要なモチーフとなっています。
彼女を信奉する者は、ヴァチカンを頂点とするカトリック教会から迫害された過去を持ちますが、その代表的な集団がカタリ派なのです。プロヴァンスの伝承によれば、彼女は迫害にあい、パレスチナから追放され、小舟で海を漂流した末に南仏プロヴァンスの海岸にたどり着きました。そして、サント・ボーム山中の洞窟にこもって祈りと瞑想の日々を送った末に亡くなり、その麓の町サン・マクシマンの、今日バリジカ聖堂のある場所に葬られました。
この聖堂には、いまも「マグダラのマリアの頭蓋骨」と称する遺物が金の装飾にかざられて大切に保存されており、毎年、祭りの日にはこの聖なる遺物が神輿にかつがれて町をパレードします。
マグダラのマリアゆかりの聖堂で受け取った闇からのメッセージ
マグダラのマリアの遺物を伝えるバジリカ聖堂は、泊まったホテルに隣接していました。ゴシック様式の建物の中に一歩入ると、強いオーラを体感!それは暗く、ひたすら「重い」ものでした。
沈黙が支配しているその空間で、私は闇からの明確なメッセージを聞きました。「ここには大切なものがある。それを解き放してはいけない」「ここにある秘密を、決して漏らしてはならない」大切なもの?秘密?第一に考えられるのが、マグダラのマリアの聖なる遺物です。しかし、私にはそれだけではないように思えました。かつてカタリ派が厳しい弾圧を受けても守り抜き、後世に伝えようとした何かが、この聖堂に隠されているのではと…。
聖堂内の随所に見られる彫刻や絵画の中には、タロット・カードの絵柄と共通するデザイン、あるいはカードそのものを連想させるデザインが見られました。カードの一枚一枚に暗示が込められているように、それらのシンボリックなデザインは、きっと何かの重要なメッセージを隠しているに違いありません。地下に降りると、マグダラのマリアの頭蓋骨だといわれる遺物が、まばゆいばかりの金の装飾に包まれて鎮座していました。異端として迫害を受けたとしても、精神的なよりどころとなる聖なる遺物があったからこそ、古代からの秘儀が連綿と守られ、同時にタロットも神秘的な力を身につけていったのだと思います。
悲劇の異端、カタリ派が残したもの
「カタリ派」は、11~13世紀にかけて南フランスや北イタリアに広がった、キリスト教の異端の一派。彼らは、南仏にゆかりの深いマグダラのマリアとイエスとの性的な関係を肯定していたこともあり、カトリック教会から厳しい弾圧を受けた。
1209年7月には、ローマ法王イノケンティウス3世の命で組織された十字軍が、南仏の町ベジェに侵攻し、カタリ派を含む住民を虐殺。このとき殺された住民は1万とも2万とも言われている。厳しい信仰生活の中、密かに教義を守り抜いたカタリ派。彼らが口伝として伝えてきた教えは、マルセイユ・タロットの絵柄の中にメッセージとして残されていると考えられている。
「カタリ派」は、11~13世紀にかけて南フランスや北イタリアに広がった、キリスト教の異端の一派。彼らは、南仏にゆかりの深いマグダラのマリアとイエスとの性的な関係を肯定していたこともあり、カトリック教会から厳しい弾圧を受けた。
1209年7月には、ローマ法王イノケンティウス3世の命で組織された十字軍が、南仏の町ベジェに侵攻し、カタリ派を含む住民を虐殺。このとき殺された住民は1万とも2万とも言われている。厳しい信仰生活の中、密かに教義を守り抜いたカタリ派。彼らが口伝として伝えてきた教えは、マルセイユ・タロットの絵柄の中にメッセージとして残されていると考えられている。
2005年9月「恋運歴」(イーストプレス)『オーラ紀行』