ペトラ遺跡(ヨルダン)

 

ペトラ遺跡
願いが叶う場所

〈ヨルダン〉

 

皆さんご存知、映画『インディ・ジョーンズ』に出てきた場所でもある、ペトラ遺跡。

もちろん世界遺産でもあり、新・世界七不思議のひとつにも数えられる、時がとまったような見事な遺跡が見られる場所です。
この遺跡を回ろうと思うと、3日は必要だと思います。
「次に行くときには、すべて見てやろう!」と思うのですが、いまだ叶わず。いつか叶えたい、野望です。

 

|ペトラの歴史

ペトラは、交易の中心として栄えていた、ナバタイ族の街。
そして、二世紀にはローマ帝国に支配されてしまうものの、363年に大地震に襲われ、壊滅的な打撃を受けてしまい、次第に人が住まなくなるにつれて、いつしか忘れられた街となっていきました。
1812年に、スイス人探検家により発見されるまで。

街には、ナバタイ人にとっての神々が記されている遺跡が色々とみられます。彼らは神の姿を具体的に表すのではなく、二つの目だけを彫り込んだりしています。

上の写真は、ナバタイ人の主神『ドゥシャラー』と、女神『ウッザー』のステラ(石柱・石板)で、シーク(後述)にあるものです。
ナバタイ人は、神が石やステラに宿るように、人間の魂も死後ステラに宿ると考えていたようです。日本の墓石などにも通じるものがあるのでしょうか。
岩窟墓をはじめとして、たくさんの遺跡が、本当に奇跡のように残っているので、ぜひその目で色々と確かめてみて下さい。

 

|インディ・ジョーンズの舞台となった、エル・ハズネ

遺跡である街全体が、かつて人々が暮らしていたところでもあり、お墓となっている場所ですが、その中にあるのが、まさしくインディ・ジョーンズの舞台となった、エル・ハズネ。ナバタイ帝国最盛期の王、アレタス4世により建設された、壮大なお墓なのです。

エル・ハズネへと続く峡谷・シークのところで、私が訪れた時のガイドさんは、こう言いました。

「みなさん、後ろ向きに七歩歩いてください。
目を瞑って、11数えたら目を開けます。
その時にあなたの願いが叶います。一つだけ唱えましょう」

そして振り向いて目を開けた瞬間。
目の前に広がるのは、圧倒的なスケールのエル・ハズネ!

その姿がいきなり目の前に広がるその時、ものすごいエネルギーを感じます。
私でなくても、文明が生きていた時代を感じることが出来るのではないでしょうか。
まさに、その時にタイムスリップしたかのような、壮大な景色が広がっています。
ちなみに、エル・ハズネに直接陽が当たるのは、9時~11時頃です。
この時間帯に行くと、さらに荘厳な雰囲気を感じることが出来るでしょう。参考にしてください。

 

|この場所でしか出会えない感動こそ、旅の醍醐味

ローマの遺跡や、ヨーロッパの教会といったものとは全く違う、自然の岩に彫刻を施して作り上げたその遺跡は、みごとというほかありません。
どうしてこのような壮大なものを作り上げることが出来たのかと、胸が高鳴ります。ここペトラでしか感じることが出来ない、エネルギーと力だと思います。

ヨルダンに行くなら、絶対に訪れたほうが良い、そう思う場所です。叶うなら、ペトラで宿泊して、ゆっくりと観てください。ナイトツアーも開催されています。この夜のペトラ…私は少し苦手だったのですが、あなたはいかがでしょうか。

ぜひその目で、耳で、心で、この唯一無二のパワースポットを感じてください!

デッド・シー(死海)(ヨルダン)

 

デッド・シー(死海)
究極の癒しを求めて

〈ヨルダン〉

 

ヨルダンという国の名前を聞いて、どのような印象をお持ちになるでしょうか。今はテロや、アメリカの問題などで、なかなか行こうと思う人は少ないでしょう。

最初に訪れた2007年から始まり、ヨルダンへの旅はもうすぐ10回を数える程、ヨルダンには何度も訪れています。「運命を変える旅」として思い出深いこの地のお話をいたしましょう。

 

|旅のきっかけとヨルダンという国について

最初のきっかけは、ヨルダンの国から頼まれたビジネスの話。ある事業の、日本とヨルダンのパイプ役をお手伝いすることになったのが始まりでした。

ヨルダンという国は、人口650万人のとても小さな国ですが、中東の中では、とても重要な位置にあります。

ただ、近隣のほとんどの国は石油が発掘されとても裕福ですが、ヨルダンという国には石油が無いのです。

ヨルダンの数少ない宝が、デッド・シーと、ペトラ遺跡なのだというお話があり、気にはなりました。しかし最初にヨルダンを訪れた時は、デッド・シーは色々案内して頂いた中のひとつで、「ふーん、これが死海か・・・」ぐらいにしか思いませんでした。

 

|ガン闘病中に再度出会った「ヨルダン」

ガンを患っていた2011年~2012年頃、私の体を心配した友人が、「デッド・シーの塩を入れて入浴しなさい」と勧めてくれました。

まじめに続けていたところ、なんと抗がん剤の副作用である吐き気やだるさなどがものすごく軽減されたように感じました。

これはすごいと感動したときにふと、「そうだ、これはヨルダンの塩なのだ」と、私の中で繋がりました。
そこで初めて、今度は自ら『行きたい』という気持ちからヨルダンを訪れることになります。

 

|デッド・シー(死海)の魅力

かつらを被りながら訪れた3度目のヨルダン。仕事ではなく、デッド・シーというものにフォーカスした旅が、そこから始まりました。

デッド・シーには、豊富なミネラル分が近郊の温泉から流れ込み、塩分濃度は30%。海抜マイナス420mという最も低いところに位置しています。

その昔、私が心惹かれてやまないクレオパトラや、ユダヤの王ヘロデも魅了されていたといわれ、クレオパトラの美しさの秘密は、デッド・シーにあったのだという話が、私の頭にも残っていました。

死海の取り合いで、戦争まで起きたこともあるとか。

また、アトピーや自律神経の緩和、セラピー効果が高く、2~3週間滞在しながら、デッド・シーセラピーを受けている人が多いとか。
さながら、日本の湯治といったところでしょうか。

 

|実は難しい…デッド・シーの入り方

皆さんも、知識として、塩分濃度30%という死海は、プカプカと浮く体験が出来るということはなんとなくご存知でしょう。

ですが、その浮き方は、普通の海で浮く感覚とは、全く違っています。

いきなり歩いてバシャバシャと入って行く人が、その強烈な浮力に、はじかれるように顔からつんのめったり、視界がぐるっと変わってしまうほどひっくり返り、半ば溺れるように、制御不能な状態に陥ってしまう姿を何度も見ました。

いきなり顔がつかると、デッド・シーの水が耳や目、口に入り、それはもう、普通の海の比じゃなく、しょっぱくて痛くて大変です。
失敗しない入り方をご紹介しておきましょう。

 

|初めての方でも失敗しないデッド・シーの入り方

まずは浅瀬で、泥を全身に塗ります。顔にも塗ります。
そうして5分間ほど、泥が乾くまで待ち、泥がカチカチになった状態で、デッド・シーに入って行きます。

デッド・シーは実は岩場なので、靴は必須です。つま先やサイドも覆われた、マリンシューズがオススメですが、サンダルでも良いので用意しましょう。

ひざ位までの水位のところまで歩いてゆっくりと入ります。

水がひざまできたら、しゃがみつつ、ひっくり返る感じで上を向き、肩や背中の力を抜き、足でスーッと蹴るように、浮いて進みます。15分ほど、プカプカと漂ってみましょう。

 

|ステラ薫子流「デッド・シーでの過ごし方」

私のデッド・シーでの過ごし方は、朝日と共に起きて、朝食の前、6時くらいからオープンするデッド・シーに向かいます。

その後は昼食後。

午後は比較的暑いので涼しい場所で過ごし、また、夕暮れ時に入るのです。

多い時は1日3回、15~20分くらいを目安にと言われる中、私は毎回40分くらい浸かってデッド・シーに癒され、身も心も文字通りピカピカつるつるに軽くなって、帰国するのです。

また、ここ、死海のエリアは、標高が低いため酸素が濃く、死海から2メートルくらいは天然のUVカットといった状態で、日焼け止めも必要ありません。安心して、泥パックして、浮かんでください。

 

|オススメの季節

気候も温暖で、一年中気持ちよく滞在出来ますが、12月~1月はやや肌寒いです。

欧米に住む人は慣れているのか、平気で死海に入って行きますが、日本人には寒いかもしれません。

また、夏場はハエが大量に発生するので、テラスでの食事など出来たものではありません。やはりオススメは、9月~10月、ベストは11月、2月といったところでしょうか。中東というと、ラマダンの時期に行くとお店がやっていないということも多いですが、ヨルダンは大丈夫です。

 

|デッド・シーへの行き方

東京からは、まず成田や羽田からドバイへ。そこで乗り換えに3~4時間かかります。

そこから3時間かけてアンマンへと到着したら、さらにバスやタクシーで死海周辺のホテルまで向かいます。

東京を出て、なんと22時間ほど。およそ1日かかるということですね。
日本人がまずヨルダンまで行こうと思えないのは、この距離感もあるでしょう。

また、いかに旅慣れた人でも、個人で手配するのが難しい場所でもあるので、何らかのツアーに参加するほうが良いでしょう。

それもまた、高額だったり、あまり選択肢がなかったりと、初めての場合には行きたい場所や時間の使い方に満足出来ずに終わってしまうかもしれません。

しかしここには、それを超えた別世界の癒しが待っているのです。

叶うなら一度、現地で死海に浮いてみて頂きたいと思います。