闘鶏神社(和歌山県)

闘鶏神社(和歌山県)




 運気アップ: 縁結び、子宝授受・安産・夫婦円満・厄除開運他、勝運
 住所:和歌山県田辺市湊655
 交通:JR熱海駅から伊豆山神社までバス(伊豆山神社行、又は七尾行)で約7分
 御祭神:(本殿)伊邪那美命(西殿)事解之男命、速玉之男命(上殿)天照皇大神、伊邪那岐命、
     宇賀御魂命
     (中殿)天乃忍穂耳命、瓊々杵命、火々出見命、鵜草葺不合命(下殿)火産霊命、
     植山比売命、弥都波能売命、稚産霊命(八百万殿)手力男命、八百万神



今回は熊野巡りの際に訪れた「闘鶏神社」についてお話したいと思います。
闘鶏神社に訪れたのは夏真っ盛りの7月下旬。
日差しも、暑さも厳しいときでしたが、せっかく熊野へ行く予定が立ったので構わず道中へ。
熊野は東京から交通の便が悪く、国内なのに到着までかなりの時間がかかります。
まずは東京(羽田)から飛行機で南紀白浜まで行き、車に乗り換えてさらに2~3時間。
足を運ぶには決意を決めないとなかなか行けないところです。

この旅で運転手役を快く引き受けてくれた私の友人は、私が行く前日から南紀白浜で待機してくれました。感謝しながら空港で落ち合い、そして二人で巡る熊野の旅のスタートです。
さて、なぜ私が熊野へ向かうことになったのか。
それは2012年の三合参りと呼ばれる神社参拝まで遡ります。
三合参りとは年に三回、自宅からその年、その期間の吉方角にある神社に年に三回お参りすることによって御利益をいただくというお参りです。(方角、お参りする日は年によって異なります)
私は毎年欠かさず三合参りをしているのですが、2012年第一回目に訪れたのが、十二社熊野神社でした。
そしてそれが初めての熊野神社参拝だったのです。

それから2週間後、友人からある連絡が・・・。
実は友人が熊野本宮の九鬼宮司様とのご縁をいただいたとのこと。せっかくだからステラさんも宮司様にお会いしては、という有難いお話しです!

お会いするのを楽しみにしていたのですが、仕事に忙殺され、1~2ヶ月経った後のことです。
私の叔父から
「熊野に行くなら熊野の近くの南紀白浜にある闘鶏神社に行ってきなさい」
と言われました。
なぜかと問いかけると、先祖がいるから、という答えが。
闘鶏神社は私の所縁の地だというのです。

はるか昔、源氏と平家の壇ノ浦の戦いの時の話です。
『平家物語』などによれば、源平合戦の時、別当湛増が、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したと云われています。
このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになったそうです。

闘鶏神社というのは勝負の神、道を見極める神と、言われています。
私はその別当湛増という人が先祖であることをその時はじめて知りました。

熊野神社は熊野信仰といわれており、神仏混合、さらに修験道の教えも受け入れた、
様々な神々の神社です。
私の部屋にも神道、天照大御神の御札があり、その隣には観音菩薩、お釈迦様、弥勒菩薩が並び
その左側には仏壇があります。
さらに壁にはタロットの絵も飾られています。
世界、神はひとつであるという考えから生まれた形式です。

私の一日は、ここにお供えしてあるすべての神々に祈ることからスタートします。
毎日お祈りをささげるのに30~40分位かかります。
自分が占い師になって、こうやって祈りを捧げているのも御先祖様からの縁があるのだなと感じました。

また、この神社の云われを聞いているうちに、私の今までの歩みを思い出しました。
私が最初に立ち上げた会社は有限会社ディメールという名前で、競馬のソフト開発の会社でした。
この競馬のソフト開発を始めたのは、私の大好きだった祖母の通夜の席でメッセージが降りてきたのがきっかけでした。
私の叔父の義夫が競馬のソフトを作り、この競馬+占いがスタートしたのが、今から25年位前だったと思います。
その後、ディメールは占いだけの会社へと変わっていき、そしてその頃には政治・経済の株価の予想なども
するようになったのです。

私が常日頃一番大事にしていることは「人生に起こることにはその全てに意味がある」ということです。

今年初めに三合参りに熊野神社へ行ったきっかけが2週間後の九鬼宮司様と出会う話に繋がりました。
その事を叔父に話し、そして叔父から闘鶏神社の話を聞き、私はすぐにでも闘鶏神社に行きたいと願うようになったのです。

期待に胸を膨らませながら、運動靴を履き、まるで子供の遠足姿で飛行機にて南紀白浜に降り立った私は、空港に迎えに来てくれた友人の車で闘鶏神社へと向かいました。
南紀白浜からここに来るまで、周りの景色は山と海と岩だけ。
安らぎのエネルギーと神秘的な深さを感じました。
目的地に到着して、闘鶏神社の鳥居をくぐった瞬間、別世界に。
奥に秘めた強いエネルギーが天地を走っている感じがしたのです。

闘鶏神社       闘鶏神社

闘鶏神社


闘鶏神社では、まず、長澤宮司さまの所にご挨拶に行き、
自分の先祖が別当湛増であることを伝え、家系図を見せました。
長澤宮司様も大変驚き、私を宝物殿の方まで、案内して下さいました。

闘鶏神社


闘鶏神社

闘鶏神社       闘鶏神社

闘鶏神社       闘鶏神社


そこで、ゆっくりと30~40分程、闘鶏神社の由来を伺いました。

闘鶏神社でのお願い事というのが勝負・株・競馬というようなものが多いんですよ、と宮司様から拝聴しながら、何だか、私の歩いてきた道と似ているようでとても不思議な気持ちになりました。

この神社の後ろには森があり、龍神が住んでいると言われ聖地とされています。
一年に一度しか宮司さまも入ることを許されない特別な場所なのだとか。

この闘鶏神社の弁慶と別当湛増の銅像がこれです。

闘鶏神社


なかなかハンサムなご先祖様でした。
また、弁慶は別当湛増の子供ではないかという説もあるそうです。

闘鶏神社


闘鶏神社の後ろには熊野本宮のミニチュア版があります。
それがこれです。

闘鶏神社


熊野式というのは本殿が全て見えなくなるように、格子戸で全てが閉ざされています。
これが他の本殿との違いと言うか、特徴と言えるでしょう。

この闘鶏神社には約1時間30分ほどいました。

闘鶏神社


次の日には熊野本宮の九鬼宮司さまとお会いする約束を得て闘鶏神社を後にすることに。
その前に宮司様が是非、玉串奉奠で祝詞を上げたいということで、私と友人は有難く、好意をいただきました。 本当はもっともっとゆっくりしたかったのですが、闘鶏神社から旅館まで行くのに車で2時間30分ほど掛かるため後ろ髪引かれる想いで闘鶏神社を後にし、勝浦温泉に向かいました。
多分近いうちにまた、訪れますと心に誓いながら・・・。

そしてこの旅は、私の原点回帰に繋がる旅となりました。
私が霊感を持って生まれ、タロット・西洋占星術の占い師として過ごしながら毎日神仏混合の前でお祈りをしているその中にはきっとここ闘鶏神社に何か大きな私にとってのキーワードが隠されているのでしょう。

昨年の震災後、私も乳ガンになり、考え方が大きく変わりました。
一時は大変なことになったと思いましたが、おかげさまでお医者様も驚くほどの回復を続け、その後の仕事も順調でがんばっています。 そんな中でもう一度原点に戻り日本の伝統的な神社巡り、神道・占いというものを見つめなおしたいと思いました。
これからは、身内や社員だけでなく一般の皆さんと一緒に、日本全国の神社巡りが出来たらなと思うのが、今の私の目標です。


<闘鶏神社についての補足情報>
【社殿】
西殿、本殿、上殿、中殿、八百万社(各殿 県指定文化財)の順に配列され、熊野十二社造と呼ばれている。御創建の往時そのままの姿を継承し、六殿に十五神と八百万神が奉祀されている。現在の社殿は元和5年(1619年)建立を最古として延宝・貞享年間(1673~1687年)に建立され、数百年を経ている。



2012.08.01         


寒川神社(神奈川県)

寒川神社(神奈川県)




 運気アップ: 厄除け
 住所:神奈川県高座郡寒川町宮山3916
 交通: 寒川神社は神奈川県の相模川のそば、厚木と茅ケ崎の間に位置しています。
     最寄り駅はJR相模線の「宮山」駅
 御祭神:寒川比古命、寒川比女命



寒川神社は、春分・秋分・夏至・冬至のいずれの時期にも必ず太陽が神社の真上を通るように建てられたと言われていて、八方除けを主に取り扱っている神社です。
八方除けとは、地相、家相、方位、日柄等からくるすべての悪事災難を祓い除く御祈願のこと。この八方除けや商売繁盛などを願い、関東一円から人が集まる場所です。1500年あまりもの歴史があり、源頼朝や武田信玄などの武将の信仰も厚かったとか。相模国一之宮とも称され、霊験あらたかな神社として知られています。

私もずっと行きたいと思いつつ、先延ばしにしていたのですが、湯河原に別荘を持っている友人宅を訪れる際、イベントとして寒川神社訪問をスケジュールに組み込みました。

寒川神社


寒川神社の御祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)
で寒川大明神と奉称しているそうです。
私達が訪れた日も、本殿では、ちょうど八方除けの神事が行われていました。

寒川神社   寒川神社

寒川神社         寒川神社


狛犬に礼をして、本殿に向かい、私達がいつも通り2礼2拍をした時ちょうど神事が始まりました。

寒川神社


私たちも自分のこれから歩いていく道に、障害がないようにとお願いしながらお参りをしました。そのまま神事が終わるまで滞在し、そのエネルギーをいただきました。非常によいタイミングで参拝できたことに感謝しています。

寒川神社の本殿を覗いてみると、三種の神器の鏡が置かれていました。驚いたのはその鏡の大きさ。今まで色々な神社に行きましたが私はこれほど大きな鏡は見たことがありません。
写真がないのでお見せできませんが、本体に近づくと、宮司さまの背を超える高さでした。圧巻の大きさです。大きさだけでなく、古いエネルギーをひしひしと感じるパワーも漂っています。さすが由緒のある神社だな、と納得したのを覚えています。

寒川神社の奥には、神嶽山という場所があります。神苑として整備され、日本庭園を楽しむことができます。

寒川神社


ただし、この神嶽山に入るには条件があります。各種御祈願の申し込みをし、八方除けをした方のみ入場可能なのです。私達は申し込みをしていなかったため、最初は入場を断られてしまったのですが、友人の一人が、以前、寒川神社に訪れた際、年末年始の混雑で境内に入ることすらできなかった話をしたら、それだったら、と神社の方が入場を許してくれたのです。それも友人だけでなく、私達まで。優しい御対応、本当に有難うございます。

寒川神社

寒川神社

寒川神社


中に入ると本当に雅やか。池には滝が流れ、とても趣のある日本庭園でした。
寒川は水の神様と言われた場所であり、この神苑は神社の中で一番の聖地。本殿とはまた違った静かなエネルギーを感じました。

寒川神社



居心地がとてもよく、私たちはお茶菓子をいただきながら二時間も長居してしまいました。
そして、最後にこの方徳資料館へ。

寒川神社


資料館には加藤様とおっしゃる方が待機しており、丁寧に展示品の話をしてくださいました。
話に感銘を受けて、私は本を数冊購入。とても有意義な時間でした。

寒川神社       寒川神社      

寒川神社   寒川神社


私は、数多くの神社巡りをしていますが、この寒川神社は実に素晴らしいと思います。
この土地が醸し出すエネルギーはもちろんですが、外観も美しい。入り口から出口までゴミひとつなく、整理整頓されています。

寒川神社

寒川神社


何よりも、それぞれの場所を担当している方が完璧に自分の仕事をこなしている。
それを見て、私も自分の生き方や身だしなみをしっかり整えていかなくてはと、改めて感じさせられた神社でした。
これからは、少なくとも年に2回ほどは通わせていただきたいなと思います。
寒川神社でもらったエネルギーで運気アップしてこれからも頑張っていこうと思います。


2012.08.16