熊野那智大社別宮飛龍神社→熊野本宮大社(和歌山県)

熊野那智大社別宮飛龍神社→熊野本宮大社(和歌山県)




 運気アップ: 「熊野那智大社別宮飛龍神社」無病息災、長寿、所願成就
        「熊野本宮大社」商売繁昌、開運招福、無病息災、交通安全、心願成就
 住所:和歌山県田辺市本宮町本宮1100
 交通: JR熱海駅から伊豆山神社までバス(伊豆山神社行、又は七尾行)で約7分
 御祭神:「熊野那智大社別宮飛龍神社」(主祭神)熊野夫須美大神
     「熊野本宮大社」(主祭神)家都美御子大神



2012年夏の熊野巡り二日目。
朝6時に目を覚まし、ホテルで食事を取って早々に那智の滝へ。熊野に来たからには熊野三山と言われる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社には回りたいと早起きをして出発です。
那智の滝に近いホテルを取ったので、車を走らせてすぐ右側に滝が見えてきました。
日本一長い滝として知られる那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行地となっています。

熊野那智大社別宮飛龍神社


実際に目にしてみると、その滝の姿は圧巻そのもの。
こんなに長い滝は今までに見たことがありません。
車を止め、滝の近くまで歩いている間も、天を眺めるような気持ちで滝を見上げていました。

熊野那智大社別宮飛龍神社


石段を約200メートル下り、大滝前の広場に到着です。
大滝の手前には「熊野那智大社別宮飛龍神社」と記された鳥居があります。

熊野那智大社別宮飛龍神社


社殿はなく、滝そのものがご神体で飛龍権現と呼ばれた神の御座所でもあります。
ここ那智の滝には、龍が眠っていると言われています。
私が撮影した写真には龍の姿がしっかりと写っていました。
それがこの写真です。

熊野那智大社別宮飛龍神社


滝の下の方をよく見ると、
龍が顔を出しているのが見えています。

私たちはこの後、10時に熊野本宮大社で九鬼宮司様との約束があったため、残念なことに那智の滝には10分程しかいられませんでした。
那智の滝で御朱印を頂いた後、何度も滝を振り返りながら、車に乗って熊野本宮へ。

勝浦ホテルからは40分程の距離と聞いていたので、すぐに到着するだろうとナビに「熊野大社」を設定。目的地までの930キロ、到着時間11時30分と表示されましたが、エラーかな、という軽い気持ちでそのまま発車。しかし、なにか変だと改めて見ると、行き先が「出雲の熊野大社」に。
「熊野本宮大社」と入れないといけなかったのですね。
焦りながら慌ててユーターンし、正しい道へ。到着したのは10時10分。
約束時間を10分もオーバーしています。

宮司様をお待たせするわけには行かないと、延々と続く階段を、息を切らしながら駆けあがりました。

熊野大社

熊野大社

熊野大社

熊野大社

熊野大社

熊野大社       熊野大社

熊野大社


約束の場所についたのが10時25分頃。
宮司様は、本社でのお仕事があったため、すでにそちらに向かわれたとのことでした。
本当に申し訳ないことをしたと、その場で20分ほど待ち、ようやく九鬼宮司様と対面することができました。

熊野大社

熊野大社


当初は15分のお約束でしたが、私が家計図と、別当湛増が先祖であることをお伝えしたら話がぱっと盛り上がり、何と貴重なお時間を1時間30分も使って頂くことに。
恐縮することに、帰り際には手土産まで用意していただき、本当に感謝の言葉もありません。
宮司さまとのお話の内容はここでは書けませんが、非常に密な会話を交わし、私にとって、とても有意義な一時となりました。

帰り際に宮司様が本社で玉串奉奠をやりましょうと、嬉しい申し出が。
私達のために特別に奥のドアを開けてくださり、スサノオのミコトの本社での玉串奉奠をさせて頂くことになったのです。

熊野大社


前日、闘鶏神社で玉串奉奠をさせていただき、
その翌日には熊野本宮大社での玉串奉奠です。

熊野大社


私と友達はあまりのサプライズに感謝感激!

外での暑い陽射しの中でとり行われたので太陽の光が私の額や顔をサンサンと照らしていましたが、精神を集中させていくと、外的な暑さは気にならなくなります。
熊野の自然のエネルギーと、龍の壮大なエネルギーを下から感じて気が引き締まっていくのをひしひしと感じ、燃え盛る炎のようなパワーが私の意欲に火をつけてくれました。

熊野本宮大社では鬼門の方位に、丑寅の御札が売られていたので、その御札を6つほど買い、御朱印もさせていただきました。
すべてを済ませて、時計を見るともう午後3時近く。気付かないうちにかなりの時間が経過していました。
帰りは関西空港から東京へ戻らなくてはならないため、早くしないと帰りの飛行機に間にあいません。
本当は、熊野の速玉神社を訪れる予定が入っていましたが全部キャンセルし、後ろ髪を引かれる思いで関空へと向かったのです。

私は今回のこの旅で、熊野のエネルギーを全身全霊で感じ、原点回帰のエネルギーをいただいたような気がします。
また熊野を回るには1泊2日では足りないことも実感。せめて2泊3日、十分な時間を用意して訪れたい場所です。


2012.08.03         


闘鶏神社(和歌山県)

闘鶏神社(和歌山県)




 運気アップ: 縁結び、子宝授受・安産・夫婦円満・厄除開運他、勝運
 住所:和歌山県田辺市湊655
 交通:JR熱海駅から伊豆山神社までバス(伊豆山神社行、又は七尾行)で約7分
 御祭神:(本殿)伊邪那美命(西殿)事解之男命、速玉之男命(上殿)天照皇大神、伊邪那岐命、
     宇賀御魂命
     (中殿)天乃忍穂耳命、瓊々杵命、火々出見命、鵜草葺不合命(下殿)火産霊命、
     植山比売命、弥都波能売命、稚産霊命(八百万殿)手力男命、八百万神



今回は熊野巡りの際に訪れた「闘鶏神社」についてお話したいと思います。
闘鶏神社に訪れたのは夏真っ盛りの7月下旬。
日差しも、暑さも厳しいときでしたが、せっかく熊野へ行く予定が立ったので構わず道中へ。
熊野は東京から交通の便が悪く、国内なのに到着までかなりの時間がかかります。
まずは東京(羽田)から飛行機で南紀白浜まで行き、車に乗り換えてさらに2~3時間。
足を運ぶには決意を決めないとなかなか行けないところです。

この旅で運転手役を快く引き受けてくれた私の友人は、私が行く前日から南紀白浜で待機してくれました。感謝しながら空港で落ち合い、そして二人で巡る熊野の旅のスタートです。
さて、なぜ私が熊野へ向かうことになったのか。
それは2012年の三合参りと呼ばれる神社参拝まで遡ります。
三合参りとは年に三回、自宅からその年、その期間の吉方角にある神社に年に三回お参りすることによって御利益をいただくというお参りです。(方角、お参りする日は年によって異なります)
私は毎年欠かさず三合参りをしているのですが、2012年第一回目に訪れたのが、十二社熊野神社でした。
そしてそれが初めての熊野神社参拝だったのです。

それから2週間後、友人からある連絡が・・・。
実は友人が熊野本宮の九鬼宮司様とのご縁をいただいたとのこと。せっかくだからステラさんも宮司様にお会いしては、という有難いお話しです!

お会いするのを楽しみにしていたのですが、仕事に忙殺され、1~2ヶ月経った後のことです。
私の叔父から
「熊野に行くなら熊野の近くの南紀白浜にある闘鶏神社に行ってきなさい」
と言われました。
なぜかと問いかけると、先祖がいるから、という答えが。
闘鶏神社は私の所縁の地だというのです。

はるか昔、源氏と平家の壇ノ浦の戦いの時の話です。
『平家物語』などによれば、源平合戦の時、別当湛増が、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したと云われています。
このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになったそうです。

闘鶏神社というのは勝負の神、道を見極める神と、言われています。
私はその別当湛増という人が先祖であることをその時はじめて知りました。

熊野神社は熊野信仰といわれており、神仏混合、さらに修験道の教えも受け入れた、
様々な神々の神社です。
私の部屋にも神道、天照大御神の御札があり、その隣には観音菩薩、お釈迦様、弥勒菩薩が並び
その左側には仏壇があります。
さらに壁にはタロットの絵も飾られています。
世界、神はひとつであるという考えから生まれた形式です。

私の一日は、ここにお供えしてあるすべての神々に祈ることからスタートします。
毎日お祈りをささげるのに30~40分位かかります。
自分が占い師になって、こうやって祈りを捧げているのも御先祖様からの縁があるのだなと感じました。

また、この神社の云われを聞いているうちに、私の今までの歩みを思い出しました。
私が最初に立ち上げた会社は有限会社ディメールという名前で、競馬のソフト開発の会社でした。
この競馬のソフト開発を始めたのは、私の大好きだった祖母の通夜の席でメッセージが降りてきたのがきっかけでした。
私の叔父の義夫が競馬のソフトを作り、この競馬+占いがスタートしたのが、今から25年位前だったと思います。
その後、ディメールは占いだけの会社へと変わっていき、そしてその頃には政治・経済の株価の予想なども
するようになったのです。

私が常日頃一番大事にしていることは「人生に起こることにはその全てに意味がある」ということです。

今年初めに三合参りに熊野神社へ行ったきっかけが2週間後の九鬼宮司様と出会う話に繋がりました。
その事を叔父に話し、そして叔父から闘鶏神社の話を聞き、私はすぐにでも闘鶏神社に行きたいと願うようになったのです。

期待に胸を膨らませながら、運動靴を履き、まるで子供の遠足姿で飛行機にて南紀白浜に降り立った私は、空港に迎えに来てくれた友人の車で闘鶏神社へと向かいました。
南紀白浜からここに来るまで、周りの景色は山と海と岩だけ。
安らぎのエネルギーと神秘的な深さを感じました。
目的地に到着して、闘鶏神社の鳥居をくぐった瞬間、別世界に。
奥に秘めた強いエネルギーが天地を走っている感じがしたのです。

闘鶏神社       闘鶏神社

闘鶏神社


闘鶏神社では、まず、長澤宮司さまの所にご挨拶に行き、
自分の先祖が別当湛増であることを伝え、家系図を見せました。
長澤宮司様も大変驚き、私を宝物殿の方まで、案内して下さいました。

闘鶏神社


闘鶏神社

闘鶏神社       闘鶏神社

闘鶏神社       闘鶏神社


そこで、ゆっくりと30~40分程、闘鶏神社の由来を伺いました。

闘鶏神社でのお願い事というのが勝負・株・競馬というようなものが多いんですよ、と宮司様から拝聴しながら、何だか、私の歩いてきた道と似ているようでとても不思議な気持ちになりました。

この神社の後ろには森があり、龍神が住んでいると言われ聖地とされています。
一年に一度しか宮司さまも入ることを許されない特別な場所なのだとか。

この闘鶏神社の弁慶と別当湛増の銅像がこれです。

闘鶏神社


なかなかハンサムなご先祖様でした。
また、弁慶は別当湛増の子供ではないかという説もあるそうです。

闘鶏神社


闘鶏神社の後ろには熊野本宮のミニチュア版があります。
それがこれです。

闘鶏神社


熊野式というのは本殿が全て見えなくなるように、格子戸で全てが閉ざされています。
これが他の本殿との違いと言うか、特徴と言えるでしょう。

この闘鶏神社には約1時間30分ほどいました。

闘鶏神社


次の日には熊野本宮の九鬼宮司さまとお会いする約束を得て闘鶏神社を後にすることに。
その前に宮司様が是非、玉串奉奠で祝詞を上げたいということで、私と友人は有難く、好意をいただきました。 本当はもっともっとゆっくりしたかったのですが、闘鶏神社から旅館まで行くのに車で2時間30分ほど掛かるため後ろ髪引かれる想いで闘鶏神社を後にし、勝浦温泉に向かいました。
多分近いうちにまた、訪れますと心に誓いながら・・・。

そしてこの旅は、私の原点回帰に繋がる旅となりました。
私が霊感を持って生まれ、タロット・西洋占星術の占い師として過ごしながら毎日神仏混合の前でお祈りをしているその中にはきっとここ闘鶏神社に何か大きな私にとってのキーワードが隠されているのでしょう。

昨年の震災後、私も乳ガンになり、考え方が大きく変わりました。
一時は大変なことになったと思いましたが、おかげさまでお医者様も驚くほどの回復を続け、その後の仕事も順調でがんばっています。 そんな中でもう一度原点に戻り日本の伝統的な神社巡り、神道・占いというものを見つめなおしたいと思いました。
これからは、身内や社員だけでなく一般の皆さんと一緒に、日本全国の神社巡りが出来たらなと思うのが、今の私の目標です。


<闘鶏神社についての補足情報>
【社殿】
西殿、本殿、上殿、中殿、八百万社(各殿 県指定文化財)の順に配列され、熊野十二社造と呼ばれている。御創建の往時そのままの姿を継承し、六殿に十五神と八百万神が奉祀されている。現在の社殿は元和5年(1619年)建立を最古として延宝・貞享年間(1673~1687年)に建立され、数百年を経ている。



2012.08.01