セト

◇◆ 混乱・厄災の神 ◆◇

 

セトという神について、一番有名な逸話は、兄オシリスを殺し、甥のホルスと王座を争い、負けてしまうというものです。

ジャッカルやツチブタの頭を持つ男性の神で、なんとその誕生は、兄オシリスより先に生まれようと母【ヌート】の脇腹を食い破って出てきたという異様な残酷さ。
その後も兄を敵視し、卑怯なあの手この手で殺害し、死体をバラバラにして国中にまいてしまいます。
さらには、オシリスの遺児であるホルスと王の座をかけて80年も争い、ホルスの左目をえぐるなどの逸話を残し、最後には敗れてしまうのです。
死からよみがえったオシリスは【冥界の神】、勝者ホルスは【現世の王】、敗れたセトが不毛の地【砂漠の神】となったのですが、実はエジプトの歴代ファラオの中には、このセトの名を冠した王の墓も残されています。

単なる悪役ではない彼のもう一つの顔は、どんなものなのでしょうか?

 

 

◇◆ エジプト屈指の軍神 ◆◇

 

歴代のファラオが眠る「王家の谷」には、多数の王墓が発掘されていますが、その中でも、色鮮やかな壁画が発見され人気の高いひとつが、【セティⅠ世】のものです。
紀元前1279年に亡くなった彼の名は、「セト神の君」を意味します。

描かれたセトの手には生命の象徴「アンク」。ファラオを祝福しています。
一般的に「悪」として描かれることの多い【セト】の名を冠したファラオは、実在が確認出来る王では初めてのことだそうですが、興味深いのは、なぜそんな「忌み嫌われる名」がファラオの名になったのか。

彼が即位した第19王朝のあたりでは、諸外国からの侵攻が激しくなったときでもあります。平和な時には五穀豊穣などが願われますが、力による危機に際しては圧倒的なパワーを願うのでしょう。荒れ狂うほどのパワーと戦いへの執念に、軍神としての力を求められたのがセトなのです。
さらにその後の新王国時代の海外遠征の成功は、セト神の加護によるものとされています。
太陽神ラーの航行の時には、先頭を切って悪蛇アポピスを撃退する、軍神。

しかしその後は、セトが王名に関わってくることはなくなります。
これはつまり、その時代のファラオがどの神の名を使って国民をひとつにしようとしたのか、どの神の名をかたって自分の地位を上げようとしたのか、ということなのではないでしょうか。
セトを象徴とした勢力が、衰退していった、ということを意味すると思われます。

他の遺跡では、顔がえぐられた神の姿も見られますが、これは戦争で勝ったものが、それ以前にあがめられていた神を排除した証。

文字も浸透しておらず、今のように映像が残せるわけでもない古代では、色々なことを伝えていく手段として、風習や慣習、さらにはわらべ歌や物語といった形をとっていました。
神話もそのひとつです。
超常現象のような表現もあるものの、その根底には史実が描かれているのだと、考えます。
【セト】の描かれ方の変遷に、エジプトの歴史を重ねてみるのもまた、興味深いものがありますね。

ラー

◇◆ 太陽神ラー ◆◇

 

エジプト全域で、時代を問わず常に信仰を集めた太陽神
それが、【ラー】です。
強大な影響力にあやかって、ファラオ達はこぞって「ラーの息子」を名乗りました。
その姿は、頭上に太陽円盤をいただいたハヤブサの様子で描かれます。
ハヤブサと聞いて、思い出すエジプト神はいませんか?
そう、私も大好きな【ホルス】もまた、ハヤブサの頭部をもった姿で描かれます。

大気や湿気の神、シューとテフヌト、そしてバステトの父とされるラーは、イシスとオシリスの子であるホルスにとって祖先ともいえる存在です。
父の仇ともいえるセトとの戦いに勝って、上下エジプトを統一した、初代ファラオとされる【ホルス】の逸話は、太陽神【ラー】とシンクロするものが多々みられます。

しかし、このように、【ラー】と【ホルス】が同時に描かれていることからも、その存在は【神】と【ファラオ】として、同時にあがめられ、信仰されていたようですね。

 

 

◇◆ 太陽の力と死生観を象徴する神 ◆◇

 

世界中をみても、太陽を神として信仰することは、珍しくありません。
その暖かな光であらゆる命を育む一方で、干ばつで恐怖に陥れることもある太陽は、人知の及ばない絶対的な存在とされるのも当然です。

しかしさらに、エジプトにおける【ラー】の存在は、そういった太陽のパワーのみならず、日の出から日没、そしてまた昇ってくるその姿にも、意味を見出したものでもあります。
エジプト神話における神々やシンボルの多くは、「生」と「死」、そして「再生」といったものと結び付けられていますが、その最たるものが【太陽】です。
古代エジプトのファラオ達が眠る「王家の谷」は、ナイル川を挟んで西岸陽が沈む方角にあり、対する東岸が昇る「生者の都」「神の都」とされ、国家最高神であるアメン神の為に作られた「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」があります。このことからもわかるように、古代エジプトでは、太陽の動きを人の一生になぞらえていたのでしょう。
【ラー】の存在そのものが太陽であり、日の出の時は太陽を転がすスカラベの姿で東側に現れ、日中はハヤブサの姿あるいは太陽の舟に乗り天高く昇り世界を照らし、日没とともに死んだのち雄羊の姿で夜の舟に乗り、さらに冥界を旅して翌朝蘇る。まさにエジプトの死生観そのものであり、復活を望んだファラオ達がその名にあやかってきたことは言うまでもありません。

 

私が心惹かれるのは、そこはかとなく漂う知性や威厳を持つものであったりするのですが、【ラー】の放つ圧倒的オーラや、絶対的パワーはやはり、問答無用な説得力を感じます。
しかし神話では一方、年老いて弱った姿も描かれています。イシスに惑わされ、彼女に絶対的魔力を授けることになってしまう逸話もあるように、ただ強く完璧なだけではないところが、エジプト神話の面白いところですね。

ネフティス

葬祭の女神死者の守護神ともいわれる【ネフティス】
大地の神ゲブと、天空の神ヌートの間に生まれた、オシリス・イシス・セトに続く4きょうだいの末妹である彼女のその逸話は、かなり破天荒です。

 

◇◆ 欲望に忠実なネフティス ◆◇


兄である、砂漠の神セトを夫としていたネフティス。
しかし彼女が恋焦がれていたのは、オシリスでした。
オシリスと関係を持とうと必死になり、酔わせたり、オシリスの妻イシスに変装したりと、ありとあらゆる手段を用いて迫ります。その結果ついに彼の子を身ごもるのです。その不義の子が、冥界の神アヌビス。
しかしそこでネフティスは、セトの怒りを買うことを恐れ、アヌビスを捨ててしまいます。

なんという女性でしょう。
古代エジプト神話最高の女神とされる、姉のイシスと真逆の存在と言えますね。

しかもそのアヌビスを拾って育てるのは、イシス。
そのまま養子となったアヌビスは、その後イシスを補佐する存在となるのです。

 

◇◆ 葬祭の女神ネフティス ◆◇


その一方で、オシリスがセトに殺されて、身体をバラバラにされてあちこちに飛ばされた時には、イシスと協力してその肉体を探し出し、復活に寄与します。そのことから、イシスと共に、死者を守る葬祭の女神とされています。
イシスと対の存在として描かれ、イシスが棺の足元のほうにあらわされるとき、ネフティスは頭のほうにあらわされます。


また、女神は頭の上に描かれるものによって区別がつくのですが、イシスは【王座】を冠しているのに対して、ネフティスの頭に描かれるのは、【城】。ネフティスの名前は、「城の女主人」を意味します。

陽の当たるきらびやかな存在であるイシスの対極にあるような、ネフティス。
その存在は、まるで光と影のようです。
人にも、ただ明るいだけの人はいませんよね。
彼女の、破天荒とも思える逸話に垣間見る多面性は、やはりどうにも無視出来ません。
人間の複雑さも、示しているような気がします。

バステト

◇◆ 優しさと強さを併せ持つ女神 ◆◇

 

世界中でペットとして愛される猫ですが、実は猫をペットとして飼い始めたのはエジプト人だともいわれています。
古代エジプトの人々にとってもペットは家族同様だったようで、愛猫の死を悲しみ、復活を願って猫のミイラも数多くつくられました。
そのように愛された猫は、次第に神格化され、女神となったのです。
それが、チャーミングで魅力あふれる女神【バステト】

その姿は、すらりとした女性の身体に、猫の顔。
装飾品を身に着け、美しく着飾っていますが、手には振って音を出し子供をあやす「シストラム」という楽器を持ち、時には足元に数匹の子猫を引き連れた姿で描かれることもあるように、多産で子育てをする猫の姿に母性を見出した古代エジプト人にとって、バステトは出産や子どもを守る、母性の象徴ともなっていったのです。


このように、同じく母性の象徴「ハトホル」神とともに、コムオンボの壁画に描かれています。
また、そこから、豊穣の女神ともされています。

 

しかしその一方で、「ラーの目」とも呼ばれ、一説では太陽神ラーの娘ともいわれています。
元はメスライオンの頭で描かれていたように、太陽神ラーの旅路に付き従うときは、ナイフで敵を打ち破る戦いの女神としての一面ももっています。

まさに多面的でつかみどころのない、猫そのものといったところです。

私はこの猫の姿が大好きで、エジプトでショップに入るとどうしても目に付くアイテムのひとつです。
見るたびに可愛くて、カッコよくて、神々しくて、それぞれに魅力を感じ、どんどん増えてしまいます。

ただ美しく優しいだけでない、また、残虐なほどの強さをもつだけでもない、強さと優しさを併せ持ったバステトは、とても魅力的な女神です。
猫らしく、しなやかなスタイルに惹かれる、憧れの存在です。

ヌート

◇◆ 天空の女神 ヌート ◆◇

 

私がヌートと出会ったのは、エジプト、王家の谷を訪れた時。
ラムセス4世の墓の中には、一面の星空が広がっていました。


青い天井にヒトデのような星がたくさん散りばめられ、さらに何かを支えるように両腕を挙げた人物が描かれていて、一体何の画だろうかと不思議に思ったところ、それは天空の神、ヌートだとのこと。

その瞬間、ヌートという存在が、宇宙の星々から降りてきた神のイメージとして、頭の中に広がりました。
朝と夜を守るヌート。24時間、日が沈むと今度は夜を守る神。
私がずっと生業としてきた【占星術】の星座が広がる天空を守り、【タロット】のシンボルにもみられます。アレイスター・クロウリーがデザインした「トート・タロット」の、ジャッジメントにあたるカードでホルスと共に描かれているのは、まさしくヌートなのです。


そのシンクロは、自分の分身ともいえるような感覚で、エジプトへの興味をますます掻き立てられたことを鮮明に覚えています。

 

 

◇◆ 天と地に引き裂かれた夫婦神 ◆◇

 

大地の神・ゲブと、天空の女神・ヌート。
あまりにも熱愛的だったふたりは、父である風の神・シューによって天と地に引き裂かれてしまいました。
大地の神・ゲブは、荒ぶる一面もあり、そのくしゃみが地震だともいわれています。
一方ヌートの笑いは雷鳴で、涙が雨。
そして、天空の女神となったヌートの役割は、毎日夕闇に沈む太陽を飲み込み、朝には再び太陽を生み出すとされ、それゆえに「太陽の母」とも呼ばれます。同時にその体には星々が散りばめられ、それらは彼女の子どもだともされています。
こちらは、黄道十二宮のレリーフがあるデンデラのハトホル神殿にみられる、ヌートだという話。

口から太陽を食べ、子宮から光と共に太陽を生み出している様子です。

また実は、ヌートはゲブと引き離される前に妊娠していたそうですが、祖父であるアトゥム神の怒りを買い、一年360日間出産出来ないという呪いをかけられました。
そこに暦の神トトが現れ、月に掛け合い、360日とは別に5日間の閏日(うるうび)を作り、その間に子を産んだとされています。その子供が、オシリス、イシス、セト、ネフティス、そして一説には大ホルス(一説ではイシスの息子)の5人であり、こうして1年が360日ではなく365日となったのだそうです。

星をよみ、太陽をよみ、暦を作り、農作業にも活用するデータとしていた古代エジプト文明の、なんと高度な事。
そしてその知恵や技術を、【神話】という形で大衆化し、語り継いでいたのでしょう。
ヌートの逸話から感じる彼女が象徴するものが、ことごとくツボにはまる私は、やはり古代エジプトに引き寄せられてしまうのです。

ハトホル

◇◆ ハトホル~愛と美・母性の女神 ◆◇

 

エジプトの女神の中でも、特に女性からの人気が高く、クレオパトラやハトシェプストといった女性ファラオも篤く信仰していたといわれるハトホル。
雌牛の姿で描かれ、女神として描かれる時には、頭に雌牛の角が生えていて、角の間に太陽円盤乗せています。

これは、ネフェルタリのお墓にある壁画ですが、ネフェルタリとみられる王妃とともに描かれているのは、ハトホルです。
イシスやマアトなど、人の姿で描かれる女神はよく混同されがちなのですが、頭に乗っているものが違います。


王妃の前に並ぶのは、右から、頭に羽を乗せたマアト王座を乗せたのがイシス、そして牛の角が生えているハトホルです。

さて、なぜ彼女がこれほど女性から支持されたのかというと、愛と美、そして母性の神とされているからなのです。
雌牛が子を守る姿と重ねられたとされる説がありますが、王がハトホルの母乳を飲む姿が壁画にも描かれていて、母親そのものとも解釈出来ます。


出産に立ち会い、母と子を守護するとも考えられていたようです。
ギリシャでは美の女神アフロディーテと同一視され、ローマ時代にはヴィーナスと呼ばれました。

このように、女性があやかりたいと思う要素満載の女神「ハトホル」ですが、私が一番惹かれたのはその点ではありません。

 

 

◇◆ 占星術の聖地 ◆◇

 

デンデラの南東に位置する、神殿複合体……その主神殿である「ハトホル神殿」には、「黄道十二宮」のレリーフが存在したのです。
それを一度はこの目で見てみたいというのが、エジプトに行きたいと思った大きな理由のひとつです。
そのレリーフが、こちら。

太陽の通り道である黄道、そこに並ぶのは、おなじみの12星座、つまり黄道十二宮なのですが、これがこのハトホル神殿の天井に描かれているのです。
オリジナルはナポレオンにより持ち去られ、現在はパリのルーブル美術館にあるので、エジプトのデンデラで見られるのはレプリカなのですが、元あったこの場所で十二宮を見てみたいという想いが、強く湧いてきたことを覚えています。

ステラ薫子といえば、タロットと占星術。

タロットの起源については何度かお話ししていますが、占星術にまつわるものまでもが、エジプトの遺跡にあるという…そんな壮大な事実に惹かれたのです。

なぜこのエジプトという土地に、占星術のレリーフがあるのか。

シリウスが上がってきたらナイル川が氾濫するということを発見し、洪水を予見する方法を見出したエジプト。太陽暦、つまり一年を365日とするエジプト暦を作ったのもエジプト。
このように、この太陽と月と星の動きというものを、エジプト人は観察し、研究していたのです。
占星術のレリーフの中では、このレリーフが一番古いと言われていますが、その中には、黄道十二宮以外の、エジプト神話に出てくるシンボルがたくさん描かれていて、その時のアセンダントは蟹座になっていたように記憶しています。
そのレリーフに対峙したとき、この天空の星々を一体誰が観察したのかという感動とともに、天空とのつながりを感じる場所だという感覚に包まれました。
エジプト人が宇宙人だとする荒唐無稽な説も、あながち間違ってはいないのではないだろうか…そんな考えにも陥り、私はそこから、占星術を、星の関係を、もっともっと調べたいと思うようになったのです。

ただこのハトホル神殿に行くには、一般的なエジプト観光ルートからは途中で大きく離れ、バスをチャーターしなくては、行けません。
そのため、このデンデラ神殿を入れるか入れないかというのが、エジプトツアーでは分かれるところです。
以前は、テロがあった時期もあったので、一時通行止めをされていた区域。
ということで、私がデンデラに行くことが出来たのは、今から20年ほど前、二度目にエジプトを訪れたときなのです。このときは、絶対に黄道十二宮のレリーフを見ようと決意して訪れました。

デンデラ神殿複合体の中でも、ひときわ存在感があるのがハトホル神殿です。
この神殿が建てられたのは、絶世の美女クレオパトラの時代で、有名な壁画にも、クレオパトラとともに、カエサルとの息子カエサリオンが描かれています。

また、巨大なハトホル女神の頭が乗った、ハトホル柱という柱が目に飛び込んでくることでしょう。

ここは本当に、エジプトの中でも壁画がカラーで残っていて、とてもきれいな場所です。

その旅で、黄道十二宮のモチーフが欲しくて、カイロに戻り、パピルス屋さんに行ってそのレリーフが無いかと探して購入してきたのがこちら。

神々が24時間天空を支えています。
今は、私が監修するスパに飾ってあります。

エジプトではその他にも、コムオンボにある「ナイロメーター」で、ナイル川の水位を把握し洪水を早期に察知農作物の収穫を予測しそれによって税金を決めるというシステムが構築されていたし、医学が発達していた様子も見られます。
この時代に、です。
本当に宇宙人だったのかもしれない…と考えると、ワクワクしますね。
私はそんなロマンが詰まったエジプト文明が、やはり大好きなのです。

アヌビス

◇◆ アヌビス 死者を冥界に運ぶ死神 ◆◇

 

アヌビスといえば、その特徴的な黒犬の頭部が印象的です。

私が大好きな【死者の書】にも描かれ、その役割は重大。
人が死んでその霊魂が肉体を離れてから、死後の楽園に行くための方法が描かれているその書のなかでも、私が一番好きな場面がこの、死者の最後の審判を描いたものです。
そこには、死者の裁判官であるオシリスに会ったときに言うべきことなどもありますが、何より有名なのは、死者の心臓を載せたはかりの片方に、真理の女神【マアト】の羽を載せ、その傾きで罪をはかるという場面。

死者を迎え入れ、そのはかりの目盛りを見つめるのが、アヌビスです。

人の心の奥を見透かすような、そんな姿に私は、タロットカードの【月】を感じます。
ステラタロットの【月】のカードに描かれているのも、二匹の犬。

死後の世界で、楽園に行くことが出来るのかどうか、そんな場面で生前の行いを悔いたり、何とかごまかせないかと焦ったりするものもいるでしょう。そんな不安や迷いにかられる状況を見つめる、さながら【暗闇の世界の門番】といったところです。

 

◇◆ ミイラ作りの神 ◆◇

 

アヌビスのもう一つの仕事は、ミイラ作り
これは、セトによりバラバラにされた冥界の王オシリスの身体をつないで、ミイラとして保存し、復活を助けたことによるものです。
ここからアヌビスは、ミイラ作り職人の守護神とされるようになります。

アヌビスもまた、オシリスの息子とされますが、母はセトの妻ネフティス。そして、彼を養子にして育てた母が、オシリスの妻イシスです。
オシリスとイシスの息子、ホルスとは、異母兄弟ということになりますね。

墓地を守り、死者を冥界に導く、死の神。
月のような、密かで凛とした光をもって、粛々とその任を務める姿が印象的です。

マアト

◇◆ マアト 正義の女神 ◆◇

死者の審判において、最後の裁きをする「正義の女神」マアト。
私は彼女に、タロットカード8番、「正義」を感じます。



マアトの姿は、一目瞭然、大きな羽を広げた姿で、頭にも羽を付けています。

これは、真理・秩序を意味するダチョウの羽です。
マアトは、秩序や法、真実そのものであると考えられていたようで、別の神と習合したり、化身となって別の姿になったりすることもなく、正義という概念を神格化した神といえるでしょう。
そのため、他の神のように、決まった神殿があるわけでもなく、マアトを祀る祭儀などもとくには無かったと思われます。

しかし、神話の中では、重要な役割を担っていました。
皆さまは、「死者の書」というものをご存知でしょうか。
死者の霊魂が肉体を離れてから冥界へ降りる過程、そして死後の世界で受ける裁判や、その裁判官オシリスに語るべきことなどが記された、死後の道しるべともいえる書で、死後も生き返るためにあらゆることを施し、準備していたエジプトの死生観が色濃く表れたものです。
死後の裁判において、死者はその心臓を天秤にかけられ、片側には真理の女神マアトの羽を乗せます。秤の目盛りを見つめるのはアヌビス。その場を取りしきるのは、書記官でもあるトトです。
魂が罪の重さで傾いてしまうと、死者がオシリスに真実を語っているかが一目瞭然。その口から出たことが嘘であった場合、アミメトにその心臓を食べられてしまい、二度と転生出来なくなってしまうということなのです。マアトは、死者の魂を裁く真理のものさし、正義そのものといえるでしょう。
感情を出さず、きっちりと天秤で真理をはかるその姿に、とても魅力を感じます。
タロットカードの大アルカナ「審判」のカードにもあるように、最終的にひとつの世界が終わり次のステージに行くとき、今までの行いをチェックし、審判にかけて重要な判断と決断をする……


それを司るマアトは、冷静さと判断力の象徴であり、私もそうありたいと、憧れる存在です。

エジプトの死生観に関しては、様々な神が関り、興味深い神話が数多くありますので、今後もご紹介していきたいと思います。
お楽しみに。

 

◇◆ 女神の見分け方 ◆◇

さて、これまで様々な女神をご紹介いたしましたが、見分け方についての豆知識をひとつ。
エジプトの女神は、頭にのせているもので判別が出来るのです。
例えばこちらの壁画。


王妃の前に並ぶ三人の女神は、一番前が角が生えたようになっている間に太陽を模した円盤を付けているハトホル、続くのは王座を表す椅子を乗せたイシス、最後が羽を広げ頭にも羽をさしているマアトです。
コムオンボ神殿にみられるこちらの壁画も、しっかりと頭に羽をさしているので、マアトですね。


しかし、よく見ると女神は羽を広げている姿で描かれていることが多々あります。
王座を乗せたイシスが羽を広げているものが多いですが、このように、頭に角と円盤を乗せたハトホルとみられる壁画もあります。


特にお土産屋さんで像やパピルスを購入しようと思ったら、しっかりチェックすることをおススメします。
以前私も、羽を広げているものがマアトだと思っていたのに、購入してきたものの中に、羽を広げているのにイシスの象徴である王座が頭に乗っていたものがあって、実はイシスだったと判明したものもあります。
お土産屋さんに確認してみても、その人自身もよくわかっていない場合もありますから、この見分け方をしっかり覚えて、チェックして下さいね。

何かを決断したいとき責任ある立場でジャッジしなくてはならない時、そんな時にお守りになるのがマアトです。
部屋に飾って気持ちを整え、その力にあやかりたいですね。
私も部屋にあるこの像を、お守りにしています。

ツタンカーメン

◇◆ 最も有名な少年王 ◆◇

 

現代において、最も有名な古代エジプトの王は、ツタンカーメンなのではないでしょうか。
それはなぜか。

彼の墓が盗掘に遭うことなく現代に発見され、数多くの遺品はもちろん、きれいな状態のミイラが発見されたことによります。

最も有名な副葬品、【ツタンカーメンのマスク】は、現在カイロ博物館のシンボル的な存在です。

その他のものもとてもきれいな状態で発掘されたことは、古代エジプトのことを知る大きな手掛かりになったことは言うまでもありません。

その黄金のマスクの下には、わずか19歳で亡くなった少年王が隠されていました。
その即位は10歳にも満たなかった頃といわれ、9年ほどの治世だったとのこと。
そのため、死因には陰謀や暗殺説などが多く語られましたが、その論争に終止符が打たれたのが2010年。
遺伝子検査やCTスキャンにより、ある説が導き出されたのです。
王は左足が変形していて、杖がないと歩けない状態だったそうで、その虚弱さゆえに何度もマラリアに感染し、免疫力が低下した状態でさらに左足を骨折。この回復の遅れによって死亡したとされています。
ただこの骨折は、戦場でのものともいわれていて、彼の性格がどうであったかはまた、色々な説に満ちています。
愛妻家であったともいわれるのは、この玉座の背もたれに描かれた、妻アンケセナーメンがツタンカーメンに香油を塗る姿。

さらには、この発掘作業に携わったメンバーがその後相次いで亡くなったことから、「ツタンカーメンの呪い」がまことしやかに囁かれたこともありますが、その発端は、細菌感染ともいわれています。そこから呪い説が広がり、その恐怖から死を選んでしまった人まで、死因は様々なようですが、これもまた、ツタンカーメンを世界的に有名にしたエピソードですね。

 

◇◆ 当時のままを感じられる奇跡 ◆◇

 

もう何度も訪れているエジプトですが、その度に訪れているのは、ツタンカーメン王の墓です。
一見しただけでは、それが何かよくわからないものも多いのが【遺跡】ですが、本当に奇跡的に盗掘に遭わず綺麗な状態で発見されたのがよくわかる、見どころの多い場所。


はじめて訪れた時、前方に見える小高い丘の上に、薄紫色とオレンジ色の高貴なオーラが広がっているのを感じました。そしてそのオーラを発する源に、ツタンカーメンの墓はありました。

地表から階段を下りてたどり着く玄室には、今もなお、ツタンカーメンのミイラが安置されています。
今までに発見されたミイラのほとんどは、博物館で保管されているのですが、ツタンカーメンのミイラだけは、発見者のハワード・カーター氏の遺言により、発見された墓に戻され、そこに眠っているのです。本物を、その場所で見ることが出来る、貴重な機会といえますね。
私はこれまでも、遺跡を訪れると度々、不安を感じたり、胸が締め付けられるような感覚を覚えることがあるのですが、なぜかこのときは、不快な気分になりませんでした。頭をなでられているような感覚で、同時に「ようこそ」と言われているような、優しいプラスのエネルギーを感じたのです。
彼の亡骸を前にした私に届いたメッセージは、「彼は決して前世に恨みをもっていない」ということ。
エジプトを統治する希望に燃えた日々を送り、そして、そのときの気持ちのままに、自らが死んだことにも気づかず、今もここに横たわっている……。
そんな気がしてなりませんでした。

皆さんもぜひ、実際に当時を感じられるこの場所を、訪れてみてください。

クレオパトラ

◇◆ クレオパトラの女子力 ◆◇

 

絶世の美女とうたわれた、クレオパトラ。
古代エジプト・プトレマイオス王朝の最後のファラオであり、英雄を虜にしたその美貌で、エジプトを守ろうとしたとの評価もあります。
18歳で弟とともに王位についたものの、一時はその弟に追われ、ローマの将軍カエサルの力を借りて、女王に復位。エジプトのハトホル神殿には、クレオパトラとカエサリオン(カエサルとの息子)の壁画も残っています。


カエサルの死後は、別のローマ将軍アントニウスと結ばれエジプトを率いますが、ローマ皇帝オクタウィアヌスによって侵略されてしまうのです。最後はヘビにかませて自殺したともいわれるクレオパトラ。歴史の中でドラマティックに生きたその姿は、パワーと魅力にあふれ、私の興味は尽きません。

 

そのクレオパトラが、いつも身にまとっていた香りがあるという逸話があります。
ジャスミンの香りを手首に着けて、耳にバラ、へそにロータス、部屋はフランキンセンスを焚き染めていたそうです。
体から一番遠い手には、一番香りを発するジャスミンを付け、手で人を誘います。
そして相手を近づけると、女性を感じさせるローズの豊かな香りで一気に引き寄せ、本当に近づかないと香らない場所「へそ」に、ロータスを付けていたとか。
そして、人を誘う時には、良い人も悪い人もやってくる可能性があるので、邪気を払うために、部屋にはフランキンセンスを焚き、浄化をしていたということです。

 

美貌だけでなく、相手を引き寄せる手練手管に長けていたのでしょう。
美しく賢い野心家。
その力をもってエジプトを守ろうと奮闘した、最後の女王、それがクレオパトラなのです。

 

何度もエジプトを訪れている私ですが、いつも何かと都合により似たような場所を訪れてしまうので、今度はぜひ、クレオパトラの発掘現場へと行ってみたいと思っています。