古代エジプト人は国家の運営上、ナイル川の氾濫を予測することに費やし、ナイル川の増水を告げる
ヘリアカル・ライジング すなわち太陽とともにシリウスが地平線を昇るという天文現象が起る日時を
導き出し、そこから夏至を割り出して、一年の長さを決めていたのです。
こうした天文観測の技術と観測記録は長年にわたってエジプトに蓄積されました。
古代エジプトの星図の中にはBC4200年につくられたものもあります。(デンデラ神殿)
エジプト文化とカルデア文化との接点をもつきっかけとなったのは
マケドニアの
アレキサンダー大王(BC336~323年)によるエジプト征服でした。
高度天体観測技術をもつエジプト人とカルデア人がつくっていた黄道12星座と占星術を含めた
オリエントの文化が潜入し、大都市アレキサンドリアを中心に発展をとげる。
「ホロスコープ占星術」と呼ばれるようになる。
古代の占星術は国家を読む事が命題でした。
ヘレニズム時代に基礎が形成された西洋占星術はその後ギリシャ哲学と融合して
生活や文化の中に入っていく。
ヘレニズム時代がすぎ、ギリシャがローマ帝国の領土となった後も
アレキサンドリアを中心に占星術を発展させていた。
代表的な人物 占星術師 クラウディオス・プトレマイオス(83~168年)
ホロスコープ占星術をローマから直接受け継いだのはヨーロッパではなくイスラム世界でした。
(天文学がヨーロッパに根付かなかったのは中世における
キリスト教の世界観が天文学に対して抑圧的に働いたからです。)
中世キリスト教の世界観に影響を受けていたダンテ(1265~1321)の
「神曲」では占星術が地獄に落とされています。この頃ヨーロッパでは
異端とされていたキリスト教に対する弾圧があった。
キリスト教の束縛から解放され、天文学が発展していました。
その動きの中でアラビア語で語られた占星術が翻訳され
イスラム占星術の知識がヨーロッパに普及していく。
万有引力を発見した天才科学者アイザック・ニュートン(1642~1727)が
登場すると、天文学に物理学や力学が導入されるようになりました。
ここで占星術は大きな転換期を迎えました。
天文学と占星術が分離しました。
17Cの天文学者ケプラー(1571~1630)は、
アスペクトの定義の体系を考えました。
今の現代占星術に大きく貢献した。
1666年のペストの流行とロンドンの大火を予言したことでも知られている
英国の占星術師ウィリアム・リリー(1602~1681)もこの時代に活躍しました。
リリーの著書「キリスト教占星術」はそれまでの占星術の技法を集大成したもので、
体系的な占星術のテキストとして影響力を持ち続けている。
◎1781年にウィリアムハーシェル(1738~1822)による天王星の発見
◎イギリス人占星術師アラン・レオ(1860~1917)
(神秘思想や古代ギリシャのヘルメス主義)に興味を持った人
星占い
「個性は運命である」(彼の残した有名な言葉)
過去・現在・未来という人生の法則をよみとく技法として
一日一年法のプロセスを確立した。
星占いのスタート。
1天体と天体の中間点を重要視するといった独自性がみられ
「ミッドポイント」と呼ばれた。
ミッドポイントを重要視する新たな技法「ハーフサム」を体系化した
ラインホルト・エバーティン(1901~1988)
フランスの心理学者 ミッシェル・ゴークラン(1928~1991)も
現代の占星術を語るのにさけて通れない人です。
占星術の理論が統計学的に語っていることを証明するために
調査・研究をおこなった研究結果、反対に占星術を肯定することになった人
英国の哲学者で占星術家のジョン・アディ(1920~1982)
アディはホロスコープ上の天体の位置に哲学的な操作を加えて新たなホロスコープを作成し、
そこから運命を読み解くという「ハーモニクス理論」を確立した。「アディ調波」である。
1970年
西洋占星術が日本に上陸
1982年
ステラ薫子は石川源光に師事し占星術の勉強に入る(24才)
1990年
プロフェッショナルチャートとミッドポイント占星学を完成させる(32才)
2009年
韓国に占星術をスタートさせる。
①古代エジプト ②アレキサンドリア ③ギリシャ ④ローマからイスラムへ ⑤ルネッサンス時代 ⑥イギリス ⑦近代